うちの研究室にいたペットの話。
私の所属する研究室には、一匹のデグーがいる。
正確には「いた」。
私たちの研究室では、実験動物としてニワトリを取り扱っているグループと、ラットやマウスを取り扱っているグループがある。
動物と言えば、実験のために命をいただく存在であり、一時的にかわいがりこそすれ、天寿を全うするまで育てることはない。
*
私が学部の4年生の時、とある3年生の女の子が言いだした。
「殺さなくていい動物が飼いたい」
そんな女の子の嘆願を聞き届けた教授が、ポケットマネーをポンと出してくれ、そのお金で飼ってきたのがデグーだった。
ホームセンターに飼う動物を見に行ったとき、売れ残ったのか、ずいぶんでかく、ずんぐりむっくりなデグーがいた。妙に人懐っこく、動きはどんくさく、何といってもまるい。
そんな様子から、『うっかりはちべえ』から名前をいただくこととなった。
私が博士後期課程の最終年次に至るまで、約5年間という大半の時間、やつが学生居室の片隅にいた。
私のことを、『エサをくれる細長い物体』と認識している節があり、前を通り過ぎるだけでずいぶんおねだりコールをされたものだった。
昨日も週一のケージ掃除の間、私の手から力強くおやつをぶん捕ったり、砂浴びをしたり、回し車を回していたりと、良く動いていた。
*
それが今朝には冷たくなっていたというのだから、命とは難しいものだ。
痩せ我慢をしていたのだろうか? 本当は少し辛かったのだろうか?
思い返してみれば、近頃エサを残し気味だったし、寒いのに抜け毛が多いという声もあった。
病院に連れていけば、もう少し長く生きただろうか。
……失われてしまった命を振り返り、たらればするのは無意味だとは知っているが。
*
本日の新潟はあいにくの大荒れであったが、休日にも関わらず研究室メンバーの半分程度が集まり、お葬式が行われた。
実験動物の魂を祀る『畜魂碑』の前に深く穴を掘り埋めた。
ここであれば、年一回の慰霊祭の時に、お墓の周りをきれいにしてもらえるだろうから。
*
『命の価値に差なんてない』という言葉があるが、それは嘘だろう。
少なくとも私の主観とエゴイズムにおいて、実験動物の命と時間をともにしてきたペットなら後者の方がより重要だ。
動物と接する上で、飼い主はその命を誰よりも大切に思うべきだろう。
それがたとえ、エゴイズムでしかないにせよ。
普段、動物の命を取り扱っているからだろうか。
こういうことをよく考えるのだ。