こちらでもよろしくお願いいたします

tyabotyaboです。

 

長く続けてきたニコニコ動画のブロマガもついに終わりの日が近づいてまいりました。

これまでいただいてきた多くのコメントやリアクションが失われるのが惜しく、一式こちらに移設しました。

子供も生まれましたし、仕事も忙しめですし、こちらのブログを熱心に更新することはあまりないと思いますが、それでもよろしければおつきあいください。

父親になりました


お久しぶりです。私です。
先月17日に長男が生まれました。

里帰り出産+コロナ禍のため、立ち合い出産もできず、退院してからも数日しか会えていませんが、本当にかわいいです。

これから大きくなっていく君は、どんなものが好きになったり、どんなことに興味を持ったりするのかなあ。隣で見届けるのが楽しみです。

お父さんもお母さんも、そして君自身も初めてのことだらけの初心者マークで、戸惑うことも多いと思うけど、それ以上に楽しいことがいっぱいあるはず。そんな毎日が楽しみです。



ということで、結婚した時以上に、今後の生活が変わると思います。
ただ、時間が確保できれば、何らかの投稿活動は続けたいと思いますので、もしよろしければ引き続きおつきあいください。

日本の研究政策と日本版AAASの設立準備委員会の発足について

「日本は科学技術に優れた国」

私が子供のころには、そんなイメージがありました。
しかし、現代の日本は科学技術立国とは程遠い状況にあります。

科学を担う研究者の一番大切な仕事は、研究によってこれまで世界中の誰も知らなかった事実を、論文として世界に周知することにあります。

いくら立派な理論を考えついても、新たに有用な化学物質を発見しても、歴史上のターニングポイントに気が付いたとしても、それが論文として出力されず、頭の中や実験ノートに書かれているだけでは、その研究はなかったことと同じです。

そんな研究活動の基礎中の基礎であるところの論文の発表数について、日本国内の年次変化を見てみると、その数は1990年代の後半から頭打ちとなり、2000年代半ばからは減少に転じています。

「日本 論文数 年次変化」の画像検索結果

論文発表数が減少している国は、先進国では日本だけです。結局、日本の総論文数は、ピークだった2000年代半ばの世界2位から、2018年には世界6位まで減りました。(http://scienceandtechnology.jp/archives/16646

論文は数を出せばいいものではない、中身が大事だ、といった指摘もあるかと思います。

そこで、論文の引用回数、つまりどれだけの研究に参考にされたかで補正したランキングを見てみると、上位10%の引用回数の論文数は11位と、純粋な論文数よりも影響力が低いことがわかります。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/15181

総括すると、現状の日本は研究の基本である論文の生産数すら全盛期より低下しており、技術立国とは程遠いといえます。

何でこんなことになってしまったのかについては、いろいろなことを言う人がいます。

ある人は大学を法人化した結果、大学の教員が研究活動以外にとられる時間があまりに多くなりすぎたと言います。事実、私の指導教員は常に学内の会議や講義、出張、外部予算獲得の書類作成や報告書の作成に追われ、まともに研究活動ができていませんでした。

また、大学や国が所管する研究法人では、「効率化係数」が設定され、毎年1%ずつ国から交付される運営費が削られていました(単純に交付金の金額が減らされているだけで、何が効率化されているのかさっぱりわからない)。その一方で、交付金以外の外部研究予算は選択化、集中化していき、政治家や役人が考える「重要な研究」に予算が集中的に投入されました。結果として、短期的には重要さが良くわからない地味な基礎研究は予算が取りにくくなり、研究室によっては実験器具の購入や印刷費にすら困るようになっていました。いくら予算を集中的に投入しても、一人の研究者が生産できる論文数には限りがありますし、将来的にどんな研究が役に立つのかなんて、現代人にはわからないのですから、集中的に資金を投入するのは、博打のようなもので非効率な投資だと個人的には思います。

さらに若手の研究人材の多くが任期3年や5年といったポストに置かれ、柔軟な発想で新しい研究に着手できるはずの期間に、腰を落ち着けて研究ができない、といった問題もあります。実際、任期付研究員として働いていた私は、任期切れるごろから情緒不安定気味で、次のポストが決まるまでの間、胃が痛んだり吐き気がしたりする中、何とか生きていました。こんな風に、働き口すら怪しい若手研究人材の実情を脇で見ている学生の多くは、よほど研究という活動に執着がない限り、大学院の博士後期課程に進もうなどとは思わないでしょう。

以上のようにいろいろと書いてきましたが、政策の全てが悪かったとは言いません。しかし、科学技術政策に問題がなかったとも思いません。

政策にものをいう人たちはいなかったのか、というお話ですが、おそらくいたと思います。研究者の待遇改善と技術立国の重要性を語った専門家も大勢いたのでしょう。でも政策は変わらなかった。

それはおそらく、研究者に配分するお金を絞っても、多くの人の目の前の実生活には影響せず、困る人の数が多くなかったからでしょう。

政治を担う政治家は、人々の投票によって選ばれるわけですから、数の少ない研究者が困っていると声を上げても、気にならないのでしょう。

また、政府に直接意見具申をできるような偉い立場にいる研究者はひょっとすると困っていないのかもしれません。


だからと言って、このまま研究費が足りない、労働環境が悪い、このままでは海外の研究力と溝が空いてしまう、いずれは、産業も情報も安全保障もプラットフォームは全てアメリカと中国の技術に依存することになりかねない…などとぐちぐち文句を言いながら日本の研究力が下がっていくのを眺めているわけにもいきません。

そんな時、若手研究者が中心となって、日本版AAASを立ち上げようとしていることを知りました。(https://jaas.group/




AAASとは…

アメリカ科学振興協会(アメリカかがくしんこうきょうかい、American Association for the Advancement of Science; AAAS)は、科学者間の協力を促進し、科学的自由を守り、科学界からの情報発信を奨励し、全人類の幸福のために科学教育をサポートする組織である。世界的にも最大級の学術団体で、有名な科学雑誌『サイエンス』の出版元としても知られている。 Wikipediaより




日本にも科学者の団体は様々ありますが、AAASのように広く最新の科学に関する知見を一般の人々に提示して情報交流したり、政治家や役人と意見交換や具申をしたり、といったボトムアップ型の大規模な組織は存在しませんでした。

研究者が何を考えているのか、何が必要だと思っているのかを一方的に訴えるのではなく、様々な立場の人と対話しながら、現在の日本の研究が置かれている厳しい状況と日本が技術立国を取り戻す必要があることを理解してもらう。そうした組織が今こそ必要なのではないかと思います。

私自身、「研究とか発見って面白い」と少しでも多くの人に思ってもらい、ちょっとでいいから研究に目を向けてもらいたい、という気持ちがあり、自分自身が面白いと思った論文を部分的に翻訳して雑学の動画を作ったりしています。

もしも、そうした研究者の気持ちに対して少しでも感じるところがあれば、日本版AAASに賛同していただけないでしょうか。

私は上記の委員会の準備委員でもないただの賛同者ですが、準備委員の皆さんも、研究者でない方々から賛同があれば心強いのではないかと思います。

実際に組織の活動がどのようなものになるのかは未知数ですが、私は期待したいと思っています。


ゆめにっき2


なんかまた変な夢を覚えていたので記載。


どうやら引っ越ししようと荷造りをしている私。
荷造りを終え、引っ越し前祝いに寿司を食べに行く。
どこかは知らないが雰囲気の良いの寿司店でサーモンを食べる(多分前日にチコちゃんでサーモンの話を見たからではないかと思う)。
急に出かける必要が出たため、寿司店にタクシーを呼んでもらう。
タクシーのドライバーがなぜか前トランプ大統領でしかもタクシーが運転席が後ろ、乗客が前に乗るという謎の2人乗り。
なんでトランプ氏がタクシードライバー?そしてこんなちっこい車じゃ荷物持って乗れないよ、と話すと、寿司屋の店主が「やつはBQに追われているからな」と謎の訳知り顔。
結局トランプタクシーに乗せてもらうものの、また寿司が食べたくなり、また寿司屋でおろしてもらう。
タクシードライバートランプと固い握手を交わしたところで目が覚める。

前回もそうだけど、意味不明なタイミングで政治家が出てくる夢を覚えていることが多い。


もう一つ覚えていた夢。
実家の近く路地の向こうからゴジラキングコングがやってくる。
唐突にキングコングの頭突きから始まるバトル。
そして、セブンアンドアイホールディングスの看板と電線の謎カットがへたくそな映画のように挟まる。
最後に実家のある団地が台地ごと崩れ落ちたところで、親父(本物)と台地が崩れたんだけどwwwとなぜか爆笑。
ここで目が覚める。

確かに崩れたのは実家のある台地だと思うが、あそこにセブンアンドアイホールディングスの傘下の小売店はなかった。セブンの看板の下りだけ本気で謎。あれはどこだったのか。



新型コロナウィルスの変異種と自然選択説の話


私は感染症の専門家でも進化論の専門家でもないが、いろいろと思うところがあったので、今回このように記事としてまとめ、自分自身の脳内を少し整理してみることにした。


新型コロナウィルスを含むコロナウィルスは、RNAという物質に遺伝情報を格納している。ウィルスの変異は感染した細胞内で遺伝情報を複製する際のコピーミスにより引き起こされるが、新型コロナウィルスのようなRNAウィルスはDNAを遺伝子として用いている細胞に比べて格段に変異が起こりやすい。具体的には増殖(感染)の速さと変異の起こりやすさを考慮すると、哺乳動物の10000倍以上のスピードで変異が生じるという(Duffy S. 2018. PLOS Biol., 16 e3000003)。


つまり、新型コロナウィルスが感染(増殖)を繰り返す限り、変異を防ぐことはできない。そして、変異の回数が多いことは、感染能力や毒性が異なる変異株が出現する可能性が高いことをそのまま意味している。


ここで、ウィルスの感染力(≒増殖能力)と毒性に変異が生じた場合、宿主(感染対象となる生き物)にはどんなことが起こるか考えてみる。


1) ウィルスが感染しやすく、毒性が高く変異 → 宿主にたくさん感染する。そして高い割合で死亡する。

2) ウィルスが感染しやすく変異、毒性は変わらない → 宿主にたくさん感染し、これまで通りの割合で死亡する。

3) ウィルスが感染しやすく、毒性が低く変異 → 宿主にたくさん感染するが、宿主の死亡率はこれまでより下がる。

4)  特に変異はない → 感染力も死亡率もこれまで通り。

5)  ウィルスが感染しにくく変異、毒性がこれまで通り → 宿主にはほとんど感染せず、死亡する割合は変わらない。

6)  ウィルスが感染しにくく、毒性が低く変異 → 宿主にほとんど感染せず、感染してもほとんど死なない。

7)  ウィルスが感染しにくく、毒性が高く変異 → 宿主にはほとんど感染しないが、感染すると高確率で死。


5)、6)、7)の変異株は感染力が低いため、主流な株にはなれず徐々に数が減っていく。逆に、1)、2)、3)の変異株は次々に感染を繰り返し、数を増やしていく。しかし、1)のように毒性の高い変異株の場合には、感染した宿主が次の宿主に感染させる前に弱って死んでしまったり、宿主となる生き物の数が感染症の流行により少なくなることで新たに感染することができなくなってしまったりするため、徐々に淘汰されていく。ウィルスは自己増殖ができず、宿主に感染しなければ増えることはない。こうして最終的には、人を殺すほどの毒性はないが感染しやすい性質を持つ3)のような変異株が主流になっていく。これが、いわゆる自然選択説(生物に無目的に起きる突然変異のうち、自然環境に適した性質をもつものが生き残り、進化が進んでいくという説)で、「感染症の毒性と感染力はトレードオフの関係にある」とされる根拠の一つだ。


ここで、今話題になっているイギリス由来の変異種に関する情報を見てみると、感染力はこれまでのウィルスより最大で70%程度高いらしい(https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20201221-00213726/)。
前述の1)、2)、3)ような感染力の高い変異種だ。


ここで、先ほど私が書いた内容を部分的に切り取って、「感染力と毒性はトレードオフの関係にあるから毒性はこれまでより低い」と安心してはいけない(実際、各種のブログやニュース記事のコメント欄等でこの種の勘違いをしている人が散見される)。


前述の通り、最終的にウィルスの感染力と毒性が反比例の関係となるのは、「ウィルスの毒性が高い変異株は次の宿主に感染する前に宿主が弱って動けなくなったり、感染先となる宿主そのものの数が少なくなったりすることで、淘汰されていくから」だ。現段階においては、新型コロナウィルスの宿主(要するに人間)の数は、感染先が少なくなるほど大きく減っていないし、新型コロナウィルスは感染者を速やかに殺してしまうほどの強毒性も持ち合わせていない。つまり、毒性が高い変異種を淘汰する方向の選択圧(進化の方向性を特定の方向に偏らせる自然環境)が生じていない。よって、新型コロナウィルス変異種の感染力が強いことは、その毒性を弱いことを担保しない


また、新型コロナウィルス感染症に関するこれまでの情報を総合すると、今後も「感染後、即時に宿主の行動を抑制するほどの毒性を示す」あるいは「宿主(人間)そのものの減少により感染の連鎖の停滞する」といった強毒ウィルス変異株が淘汰されていくシナリオは起こりにくいと考えられることから、「感染力が高い変異株の毒性は低い」というセオリーは、新型コロナウィルス感染症に当てはめることはできないと考えられる。むしろ、風邪のような感染症の場合には、毒性の強化が咳や鼻水といった感染の原因となる症状を悪化させ、感染性を強める方向に働くことも指摘されている(高倉. 2009. 生活衛生. 3, 145-152; https://www.jstage.jst.go.jp/article/seikatsueisei/53/3/53_3_145/_article)。


いずれにせよ、新型コロナウィルスに関しては、感染力が高いことは毒性が低いことを説明しないと考えるのが妥当だろう。むしろ、高い感染力を持つ変異株の出現によって、これまで以上に感染者が増えてこれまで以上に医療の提供がひっ迫し、本来助かるはずの命を救うことができなくなることで、致死率が上昇することを警戒すべきだ。「感染力が高いことは毒性が低下を意味する」というもっともらしい言葉は、新型コロナウィルス感染症の現状にあてはめ、段階を踏んで考えれば全く根拠がない楽観である。このような考えは捨て置いて、引き続き感染予防対策を継続する必要がある。



さて、ここまで書いてきたように、進化の方向性は生き物やウィルスが意識して決めているわけではない。一方で、ウィルスの変異について、「効率よく増殖するために感染力を増加する方向に変異している」とか「ワクチンの効き目が少ないように変異している」というように、あたかもウィルスが意思をもって変異の方向性を決めているような書き方が、メディアやSNSで多く見受けられることに違和感を持っている(私も動物の解説動画で理解してもらいやすいように、こうなるようにこう進化しました、といった説明をしたことがあるのであまり人のことは言えないけれど…)。ウィルスの変異の方向性を決定できるのは、感染症で人類を滅ぼす某ゲームの中ぐらいのものであり、進化の方向性は、自然環境と偶然の変異がかみ合った時に決まる。このような進化に関する定説を本質的に理解していないせいで、新型コロナウィルスの変異種に対する報道や情報がいまだに混乱しているのではないか、と思う。



最後になるが、メディアやSNSから供給される情報は飲み込みやすいように加工されており、私自身もその情報をそのまま飲み込んでしまいがちだ。しかし、このコロナ禍における各種の情報は、情報の供給者や媒体が多様化し、情報の精度のばらつきも大きいように感じられる。

書かれている内容が個人の見解なのか、科学的根拠に基づくものなのか、論理展開として妥当性があるのか、解釈の飛躍はないのか、そういったものを気にしながら読み解く必要があると思う。

私自身、動画や記事を作成するにあたっても、なるべく情報に飛躍や齟齬がないよう気を付けていきたい。

ゆめにっき

本日見た夢はそこはかとなくカオスだったため、巷で話題の夢日記として残す次第。


※私の見た夢

私は地元の山形にいる。時は夕刻。
しかし、山形からつくばに帰るバスがない。
仕方なく夜出発で深夜1時ごろに到着する夜行電車で帰ることにする。
(注:山形つくば間の夜行列車はないし、なぜか新幹線で帰るという選択肢もない。夢の中クオリティ)

つくばに深夜ついたところで、友人A、Bとマージャンを打つことにする。
(注:友人A,Bともに山形の友人。夢の中クオリティ)

深夜の1時ごろ、友人Bの実家に入るとなぜか父親が安倍晋三元総理。
(注:友人Bの苗字は安倍ではない)

「夜分にすみません」と頭を下げると、同じタイミングで頭を下げた安倍元首相(偽)と頭がごっつんこする。

ともかく麻雀をするべく麻雀パイを積み始めるが、山に積んだのジャンパイの枚数が3枚多かったり、麻雀パイが縦に細長くとても積みにくかったりと、夢の中特有の変な感じ。

ジャンパイを積み終えたが、今この部屋には3人しかいない。なぜ3人しかいないのにマージャンをやろうと思ったのか不明。
友人Bが、「父ちゃん呼ぶ?」といって安倍元首相(偽)をマージャンのメンバーとして召喚しようとしたところで目が覚める。


※妻の見た夢

車に乗っていると、車の助手席と後部座席から泥がわき出てきた。

泥じゃない。かぼちゃの煮汁だ!

かぼちゃの煮汁をドアを開けてかきだすと、においにつられて野犬が現れる

野犬を追い払うためにサランラップの芯をぶん投げて取ってこい!をする

通りすがりのおっさんににらまれたので、「これはごみのポイ捨てではなく、野犬を追い払ったのです」と謎の言い訳。

後部座席の煮汁をようやく処理し終え、助手席に移ろうとすると、妻の母親(若かりし日の姿)が運転席におり、車が猛然とバックし始める。

あぶねえと思い車の外に逃れ、バックする車を見ると今にも脱輪しそう。
「母ちゃん脱輪する!」と叫ぶが、そのまま結局脱輪する。

「言ったじゃない!」

と怒ったところで目が覚める。



という夢の内容を夫婦で交換したところで、本日が始まりました。

体験談:1月末のあれはひょっとして新型コロナウィルス感染症だったのではないか、という話


こんにちは。私です。
昨日、このようなニュースを読みました。

仏 12月時点ですでに新型コロナ感染者 感染拡大探る手がかり
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200505/k10012418701000.html

フランスにおいて昨年末「インフルエンザ様」の症状で入院した患者の検体から、新型コロナウィルスが検出された。すなわち、12月末には既に新型コロナウィルスがフランス国内に入ってきていたことが強く示唆された、との報道です。

仮に昨年末の段階でフランスに同感染症が入ってきていたのだとすれば、中国人観光客が大量に入国していた日本においても、当初想定されていたよりもずっと早い段階で同感染症流入、水面下で感染拡大していたのではないかと考えられます。

それを踏まえて、1月末から2月頭にかけて起こった、我が家で起きた「新型コロナウィルス感染症疑い」について当時のメールやLINE等の記録をたどりながら振り返ってみたいと思います。


~~~ここから回想~~~

2020年1月23日(木)
LINEで大学時代のサークルの先輩や仲のいい同期、東京勤めの後輩などと、1月25日(土)に東京で飲む相談。
私は慢性の副鼻腔炎が治りきっていなかったため参加するか少し悩んだが、なかなかない機会+最近はずいぶん体調も回復してきたということで参加することに決める。東京の飲み屋を幹事に代わって予約。私と妻は大学のサークルで知り合った中なので、2人そろっての参加予定。なかなかない機会なので楽しみ。

2020年1月25日(土)
19時ごろ
東京、上野の大衆居酒屋に集まる。参加を表明していたが仕事でこれなくなった後輩もいて少し残念。参加者総勢7名。
まだ世界は新型コロナウィルスの話題一色に包まれる前で、土曜の夜の飲み屋はほぼ満席。
大学時代の話や今の仕事の話、子供がもうすぐ生まれるという後輩の話などで盛り上がる。

22時00分ごろ
1次会は終了。次の日に仕事のある人、宿までの戻りの都合がある人が帰宅。
名残惜しいので、残った4人で二店目に。どこも閉店前やラストオーダーの時間帯だったため、地下にある手狭な居酒屋へ。こちらも激混み+少し汚い。換気もきいていない。23時ごろまで他愛もない話をしながら過ごす。そのままお開き。
同期の友人が宿をとらずに来たというので、彼を伴って鉄道を使って帰宅する。

2020年1月26日(日)
若干の二日酔いを感じながら起床。近場の喫茶店で妻、友人とともにモーニングを食べる。友人はそのまま地元へ帰宅。この時点では私は下痢気味、妻は特に症状なし。飲み会の次の日に下痢をするのはいつものことなので特に気にせず。

2020年1月27日(月)
特に体調に異常はない。妻、私ともに出勤する。

2020年1月28日(火)
朝の段階では妻、私ともに特に体調に異常は感じない。出勤する。
夕刻、妻よりショートメール。「調子が悪く、夕飯を作れそうにない。何か買って食べてくれ」とのこと。
状況が見えないので早めに帰宅。私の夕飯と妻が食べることができそうな消化のよさそうな食品を買い、自宅に戻ると、寝室で妻が苦しそうな顔で寝ている。曰く「昼頃から急に熱っぽく具合が悪くなった。39度を超える熱があり、節々や筋肉があちこち痛む」という。
妻とは10年以上の付き合いになるが、風邪を引いた、熱を出したことなどこれまでにない。
症状および時期的にインフルエンザを強く疑い、即座に寝室に妻を隔離。ドアノブ、照明のスイッチ、トイレの共用部分の消毒などを行う。

2020年1月29日(水)
私は体調に異常なし。妻は引き続き赤い顔。熱も39度に近い。
妻がインフルエンザであったとすると、私も潜伏期間にある可能性が高い。この日は妻、私ともに仕事を休む。
妻は歩いたり、車を運転したりすることが困難な状況にあったので、ペーパードライバーの私が彼女の車を運転して近くの内科まで連れていく。結果、インフルエンザは陰性。ただの風邪との診断。解熱剤と漢方薬が処方される。しかし、ただの風邪であの健康優良児の妻がこれほど苦しむとは思えなかったため、偽陰性あるいはその他の感染症の可能性が高いと判断。このため、隔離は維持し、部屋の出入りは食事の提供と換気時のみ。接触時は必ずマスクをつけて接するようにした。
この休みを使い、共倒れに備えた買い物を行う。ウィダー、スポーツドリンク、レトルトのおかゆ、ある程度回復した時に食べられるよう、レトルトの鮭の切り身や卵などをおおむね1週間強分買い込む。
また、使い捨てマスク、使い捨てプラスチックグローブ、消毒用エタノールなど、必要そうな物品を購入。

2020年1月30日(木)
妻は解熱剤が効いたのか、熱が37度台まで下がる。少し安心した。しかし、このころから扉越しに咳がよく聞こえるようになる。
私は平熱。しかし、治りかけていた副鼻腔炎が突然ひどく悪化しはじめ、数日前とは全く違う、とんでもない量の黄ばんだ鼻水が出てくるようになる。また、喉が少しイガイガし、頭も重く、肩の関節にも違和感がある。この段階で妻から何らかの感染症をもらってしまったと確信する。
私の症状は典型的なインフルエンザの症状ではないが、万が一があるため、この日も仕事を休む。そして、副鼻腔炎の治療を受けていた耳鼻科で診療を受ける。
結果、インフルエンザは陰性。しかし、鼻粘膜は副鼻腔炎の治療開始直後に近いレベルで腫れているとのこと。このため、慢性副鼻腔炎向けのマクロライド系の抗生剤から菌を殺すことに特化したセフェム系の抗生剤に逆戻りとなる。

2020年1月31日(金)
妻の熱が36度台後半まで下がる。彼女の平熱よりはまだ少し高いが、ここまで下がるとだいぶ安心感がある。しかし、咳は止まらない。咳に限定してみると、最初より悪化しているような気すらする。この日までウィダースポドリ・ヨーグルトで生きてきた妻だが、「甘い味に飽きた。もう食べたくない」というので、食事を白がゆ、鮭がゆ、卵がゆに変える。食事に注文が出てきたので、だいぶ回復してきたように見える。
私は相変わらず平熱。しかし、鼻水は相変わらずとんでもない量が出るし、鼻をかまないとすぐ詰まる。しかし、これ以上仕事も休んでいられないので、マスクをつけ、なるべく人と接触しないようにしつつ、最小限の仕事を済ませに出勤する。

2020年2月1、2日(土、日)
妻の熱は36度台を維持。食事も納豆ご飯や鮭の切り身も大丈夫そう。ここまでくれば大丈夫だろう。相変わらず咳は続いているが、顔色を見ても明らかに生気が戻ってきている。
私も平熱を維持。相変わらず濁った黄色の鼻水が出続ける。食べ物のにおいは感じるものの、鼻詰まりのせいか弱い。これが原因か食欲もいまいち出ない。

2020年2月3日(月)~
妻の咳は相変わらずだが、熱は下がり、体も元気そうなので、この日から職場に復帰する。
ただ、この後も咳は1週間以上出続けていた。この間、職場ではマスクを常時つけ、あまり人と接することがないよう気を付けていたそうだ。
私もこの週は休まず出勤した。職場では以前は昼食を同僚やパートさんと一緒に食べるのが習慣だったが、このころから一人で昼食を食べるようになった。
私の鼻の状態は相変わらず浮き沈みを繰り返していて、慢性副鼻腔炎の治療は今も継続している(5月6日現在)。しかし、鼻水の黄ばみと量はだいぶ減ってきたので、最近はだいぶ調子がいい。

~~~回想ここまで~~~

〇上記から、妻と私が新型コロナウィルス感染症だったのではないかと思われる部分
①妻が調子を崩す3日前に、ザ3密、という感じの東京の大衆居酒屋でお酒を飲んでいた。
②妻の症状が報道等で見る典型的な新型コロナウィルス感染症の症状かつインフルエンザの簡易検査結果が陰性だった。また、私もインフルエンザの検査結果は陰性だった。
③妻はこれまでちょっとやそっとのことでは熱など出さない健康優良児だったので、「ただの風邪」でここまで大崩れし、熱が3,4日出続けたり、延々と咳が続いたりするようには思えない。

〇そうは言いながら新型コロナウィルス感染症ではないだろうと思っていた理由
①東京で最初の感染者が確認されたのが1月24日。ほぼ同時期に東京都内に新型コロナウィルス感染症が蔓延していた可能性は低いだろう。
②同席した他のメンバーが熱を出したという話を聞かない(ほかのメンバーも健康優良児ばかりだが)。
③妻から感染したのではと思われる私の症状は典型的な新型コロナウィルス感染症とはだいぶ違う感じがする。
④妻の職場、私の職場ともに、その後、感染が疑わしい人が出ていないので、報道されているような高い感染力を誇っている新型コロナウィルス感染症の広がり方としては不自然。

しかし、「12月時点ですでに日本国内でもある程度新型コロナウィルス感染症が広がっていた」とすれば、新型コロナウィルス感染症ではないだろうと思っていた一番大きい理由その①が無効になります。また、兵庫県の調査ですでに抗体を持っている感染経験のある人がかなりいそうという報道からも、我が家のあれはやはりそうだったのではないかというような気がします。
https://www.news24.jp/articles/2020/05/03/07636493.html

もはやあの出来事から3カ月以上が過ぎているため、PCR検査では確認不能ですが、我々夫婦が抗体検査を受けると、ひょっとすると感染済みの線が出てくるのでは、と疑っています。

結局、真偽のほどは定かではありません。また、仮に抗体を持っていても新型コロナウィルス感染症への感染を防いでくれるかも定かではありません。
しかし、家庭内での隔離戦略や、職場に出勤しない等の方策は、経験則上うまくいったのではないか、というように思うので、これからもこの経験を思い出しながら、最小限の買い物や出勤を維持しながら生活していく所存です。