短報 「長女のミルクの拒否が授乳時の姿勢による」という新たな仮説の提唱(※パロディ論文)
短報
「長女のミルクの拒否が授乳時の姿勢による」という新たな仮説の提唱
著者
tyabotyabo, 妻tyabo
要約
乳児を育てる家庭において、子供の授乳拒否は大きな問題である。本研究は、目を覚ました状態での授乳を拒否するtyabotyabo家の長女の授乳姿勢に着目し研究を行った。結果として、長女がミルクを拒否していたのは「授乳時の長女の姿勢が原因」との新たな仮説が得られたため報告する。
緒言
乳児は月齢により、3-4時間間隔でミルクを飲ませる必要があり(パンパース、2023)、子育て家庭にとって授乳は特に労力を要する育児要素である。特に、本来ミルクが必要であるはずの乳児がミルクを飲まないことは子育て家庭にとって、精神的、体力的な負担になる。
著者らは、第二子(以下長女とする)の授乳において、生後4-5か月ごろから「長女が起きている時に授乳すると拒否される」という反応に直面した。この反応が発現した原因について、第一に「ミルクの味が好みではない説」が提唱された(tyabotyabo、2024)。この仮説を検証するため、粉ミルクをA社からB社に変更したところ、ミルクの拒否が複数回の授乳において見られなくなったことから、当初、この仮説は有力と考えられた。しかし、数日後にはB社のミルクでも度々拒否が見られるようになり、仮説の妥当性に疑義が生じた。続いて、「眠すぎて飲まない説」が提唱された(妻tyabo、2024a)。この仮説を裏付けるように、睡眠中に長女に授乳した場合、ミルクは高確率で飲み干された。一方、起床から間もなく、眠くないはずの時間帯にもミルクを拒否することから、この仮説にも疑義が呈されている。
このような中、妻tyabo(2024b)は「抱っこせず、畳に寝かせたまま、ちょっと首を持ち上げて飲ませたら、いつもよりたくさん飲む」という興味深い観察結果を報告した。そこで、本研究では、長女がミルクを拒否するのは「授乳の際の長女の姿勢」に原因があるのではないかと着想し、長女起きている状態での授乳に対する姿勢の影響を調査した。
材料および方法
長女(まもなく6か月齢)にB社のミルクをミルクの容器に記載の方法で160 ml調製し、通常通り授乳者が胡坐で抱っこしながらの授乳(通常)、長女を授乳者の太ももの上にのせて座位をとらせ首を支えながらの授乳(座位)をそれぞれ行った。なお、座位の方法は長女の首が座りつつあったため実施できた。長女は両目を開いている状態、授乳者はtyabotyabo、前回の授乳からの間隔は3-4時間、授乳開始時刻は10時と15時の2回、乳首はヌーク社のMサイズ(ゼーフェン、ドイツ)とした。
結果
通常の方法での授乳を試みたところ、2回とも舌で乳首を押し返してくる拒否が見られほとんど飲まなかった。通常での拒否の確認後、座位の方法で授乳を試みたところ、舌で押し返し拒否する動きをわずかに示したものの、その後、1回目の調査では目をしっかりと開けたまま、2回目の調査では、寝たり起きたりを繰り返しながら、すべてのミルクを飲み干した。
考察
本研究の結果から、長女が目を覚ましている状態での授乳姿勢として座位が適している可能性が新たに示された。通常では、顔は天井を向いているため、ミルクを飲む際に息が苦しかったのが、座位になることで息苦しさが解消され、拒否が緩和したと考えられる。他方、A社のミルクにて同様の試験を試みたところ、座位でも途中から拒否が見られ、飲んだ量は50 mlにとどまった。よって、ミルクの種類とミルク飲ませ方には交互作用が存在する可能性があり、さらなる検討が必要である。
なお、ミルクの拒否には、長女の機嫌、排便状況、お腹のすき具合など、数値化が困難な多くの交絡因子が存在することが考えられる。よって、今後は様々な条件下で座位による授乳を行い、長女が起きている状態での授乳方法を確立することで、育児負担の軽減にさらに貢献する。なお、座位での授乳を継続するためには、長女の首を支える強い筋力が必要であることから、上記の目的を達成するため、授乳担当者は今後、筋力強化を行う。
謝辞
この研究の実施に当たり、授乳の時間中に邪魔をせず大人しく遊んでくれている長男に深く感謝いたします。
こちらでもよろしくお願いいたします
tyabotyaboです。
長く続けてきたニコニコ動画のブロマガもついに終わりの日が近づいてまいりました。
これまでいただいてきた多くのコメントやリアクションが失われるのが惜しく、一式こちらに移設しました。
子供も生まれましたし、仕事も忙しめですし、こちらのブログを熱心に更新することはあまりないと思いますが、それでもよろしければおつきあいください。
父親になりました
お久しぶりです。私です。
先月17日に長男が生まれました。
里帰り出産+コロナ禍のため、立ち合い出産もできず、退院してからも数日しか会えていませんが、本当にかわいいです。
これから大きくなっていく君は、どんなものが好きになったり、どんなことに興味を持ったりするのかなあ。隣で見届けるのが楽しみです。
お父さんもお母さんも、そして君自身も初めてのことだらけの初心者マークで、戸惑うことも多いと思うけど、それ以上に楽しいことがいっぱいあるはず。そんな毎日が楽しみです。

ということで、結婚した時以上に、今後の生活が変わると思います。
ただ、時間が確保できれば、何らかの投稿活動は続けたいと思いますので、もしよろしければ引き続きおつきあいください。
日本の研究政策と日本版AAASの設立準備委員会の発足について
「日本は科学技術に優れた国」
私が子供のころには、そんなイメージがありました。
しかし、現代の日本は科学技術立国とは程遠い状況にあります。
科学を担う研究者の一番大切な仕事は、研究によってこれまで世界中の誰も知らなかった事実を、論文として世界に周知することにあります。
いくら立派な理論を考えついても、新たに有用な化学物質を発見しても、歴史上のターニングポイントに気が付いたとしても、それが論文として出力されず、頭の中や実験ノートに書かれているだけでは、その研究はなかったことと同じです。
そんな研究活動の基礎中の基礎であるところの論文の発表数について、日本国内の年次変化を見てみると、その数は1990年代の後半から頭打ちとなり、2000年代半ばからは減少に転じています。
論文発表数が減少している国は、先進国では日本だけです。結局、日本の総論文数は、ピークだった2000年代半ばの世界2位から、2018年には世界6位まで減りました。(http://scienceandtechnology.jp/archives/16646)
論文は数を出せばいいものではない、中身が大事だ、といった指摘もあるかと思います。
そこで、論文の引用回数、つまりどれだけの研究に参考にされたかで補正したランキングを見てみると、上位10%の引用回数の論文数は11位と、純粋な論文数よりも影響力が低いことがわかります。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/15181)
総括すると、現状の日本は研究の基本である論文の生産数すら全盛期より低下しており、技術立国とは程遠いといえます。
何でこんなことになってしまったのかについては、いろいろなことを言う人がいます。
ある人は大学を法人化した結果、大学の教員が研究活動以外にとられる時間があまりに多くなりすぎたと言います。事実、私の指導教員は常に学内の会議や講義、出張、外部予算獲得の書類作成や報告書の作成に追われ、まともに研究活動ができていませんでした。
また、大学や国が所管する研究法人では、「効率化係数」が設定され、毎年1%ずつ国から交付される運営費が削られていました(単純に交付金の金額が減らされているだけで、何が効率化されているのかさっぱりわからない)。その一方で、交付金以外の外部研究予算は選択化、集中化していき、政治家や役人が考える「重要な研究」に予算が集中的に投入されました。結果として、短期的には重要さが良くわからない地味な基礎研究は予算が取りにくくなり、研究室によっては実験器具の購入や印刷費にすら困るようになっていました。いくら予算を集中的に投入しても、一人の研究者が生産できる論文数には限りがありますし、将来的にどんな研究が役に立つのかなんて、現代人にはわからないのですから、集中的に資金を投入するのは、博打のようなもので非効率な投資だと個人的には思います。
さらに若手の研究人材の多くが任期3年や5年といったポストに置かれ、柔軟な発想で新しい研究に着手できるはずの期間に、腰を落ち着けて研究ができない、といった問題もあります。実際、任期付研究員として働いていた私は、任期切れるごろから情緒不安定気味で、次のポストが決まるまでの間、胃が痛んだり吐き気がしたりする中、何とか生きていました。こんな風に、働き口すら怪しい若手研究人材の実情を脇で見ている学生の多くは、よほど研究という活動に執着がない限り、大学院の博士後期課程に進もうなどとは思わないでしょう。
以上のようにいろいろと書いてきましたが、政策の全てが悪かったとは言いません。しかし、科学技術政策に問題がなかったとも思いません。
政策にものをいう人たちはいなかったのか、というお話ですが、おそらくいたと思います。研究者の待遇改善と技術立国の重要性を語った専門家も大勢いたのでしょう。でも政策は変わらなかった。
それはおそらく、研究者に配分するお金を絞っても、多くの人の目の前の実生活には影響せず、困る人の数が多くなかったからでしょう。
政治を担う政治家は、人々の投票によって選ばれるわけですから、数の少ない研究者が困っていると声を上げても、気にならないのでしょう。
また、政府に直接意見具申をできるような偉い立場にいる研究者はひょっとすると困っていないのかもしれません。
だからと言って、このまま研究費が足りない、労働環境が悪い、このままでは海外の研究力と溝が空いてしまう、いずれは、産業も情報も安全保障もプラットフォームは全てアメリカと中国の技術に依存することになりかねない…などとぐちぐち文句を言いながら日本の研究力が下がっていくのを眺めているわけにもいきません。
そんな時、若手研究者が中心となって、日本版AAASを立ち上げようとしていることを知りました。(https://jaas.group/)
AAASとは…
アメリカ科学振興協会(アメリカかがくしんこうきょうかい、American Association for the Advancement of Science; AAAS)は、科学者間の協力を促進し、科学的自由を守り、科学界からの情報発信を奨励し、全人類の幸福のために科学教育をサポートする組織である。世界的にも最大級の学術団体で、有名な科学雑誌『サイエンス』の出版元としても知られている。 Wikipediaより
日本にも科学者の団体は様々ありますが、AAASのように広く最新の科学に関する知見を一般の人々に提示して情報交流したり、政治家や役人と意見交換や具申をしたり、といったボトムアップ型の大規模な組織は存在しませんでした。
研究者が何を考えているのか、何が必要だと思っているのかを一方的に訴えるのではなく、様々な立場の人と対話しながら、現在の日本の研究が置かれている厳しい状況と日本が技術立国を取り戻す必要があることを理解してもらう。そうした組織が今こそ必要なのではないかと思います。
私自身、「研究とか発見って面白い」と少しでも多くの人に思ってもらい、ちょっとでいいから研究に目を向けてもらいたい、という気持ちがあり、自分自身が面白いと思った論文を部分的に翻訳して雑学の動画を作ったりしています。
もしも、そうした研究者の気持ちに対して少しでも感じるところがあれば、日本版AAASに賛同していただけないでしょうか。
私は上記の委員会の準備委員でもないただの賛同者ですが、準備委員の皆さんも、研究者でない方々から賛同があれば心強いのではないかと思います。
実際に組織の活動がどのようなものになるのかは未知数ですが、私は期待したいと思っています。
ゆめにっき2
なんかまた変な夢を覚えていたので記載。
どうやら引っ越ししようと荷造りをしている私。
荷造りを終え、引っ越し前祝いに寿司を食べに行く。
どこかは知らないが雰囲気の良いの寿司店でサーモンを食べる(多分前日にチコちゃんでサーモンの話を見たからではないかと思う)。
急に出かける必要が出たため、寿司店にタクシーを呼んでもらう。
タクシーのドライバーがなぜか前トランプ大統領でしかもタクシーが運転席が後ろ、乗客が前に乗るという謎の2人乗り。
なんでトランプ氏がタクシードライバー?そしてこんなちっこい車じゃ荷物持って乗れないよ、と話すと、寿司屋の店主が「やつはBQに追われているからな」と謎の訳知り顔。
結局トランプタクシーに乗せてもらうものの、また寿司が食べたくなり、また寿司屋でおろしてもらう。
タクシードライバートランプと固い握手を交わしたところで目が覚める。
前回もそうだけど、意味不明なタイミングで政治家が出てくる夢を覚えていることが多い。
もう一つ覚えていた夢。
実家の近く路地の向こうからゴジラとキングコングがやってくる。
唐突にキングコングの頭突きから始まるバトル。
そして、セブンアンドアイホールディングスの看板と電線の謎カットがへたくそな映画のように挟まる。
最後に実家のある団地が台地ごと崩れ落ちたところで、親父(本物)と台地が崩れたんだけどwwwとなぜか爆笑。
ここで目が覚める。
確かに崩れたのは実家のある台地だと思うが、あそこにセブンアンドアイホールディングスの傘下の小売店はなかった。セブンの看板の下りだけ本気で謎。あれはどこだったのか。
新型コロナウィルスの変異種と自然選択説の話
私は感染症の専門家でも進化論の専門家でもないが、いろいろと思うところがあったので、今回このように記事としてまとめ、自分自身の脳内を少し整理してみることにした。
新型コロナウィルスを含むコロナウィルスは、RNAという物質に遺伝情報を格納している。ウィルスの変異は感染した細胞内で遺伝情報を複製する際のコピーミスにより引き起こされるが、新型コロナウィルスのようなRNAウィルスはDNAを遺伝子として用いている細胞に比べて格段に変異が起こりやすい。具体的には増殖(感染)の速さと変異の起こりやすさを考慮すると、哺乳動物の10000倍以上のスピードで変異が生じるという(Duffy S. 2018. PLOS Biol., 16 e3000003)。
つまり、新型コロナウィルスが感染(増殖)を繰り返す限り、変異を防ぐことはできない。そして、変異の回数が多いことは、感染能力や毒性が異なる変異株が出現する可能性が高いことをそのまま意味している。
ここで、ウィルスの感染力(≒増殖能力)と毒性に変異が生じた場合、宿主(感染対象となる生き物)にはどんなことが起こるか考えてみる。
1) ウィルスが感染しやすく、毒性が高く変異 → 宿主にたくさん感染する。そして高い割合で死亡する。
2) ウィルスが感染しやすく変異、毒性は変わらない → 宿主にたくさん感染し、これまで通りの割合で死亡する。
3) ウィルスが感染しやすく、毒性が低く変異 → 宿主にたくさん感染するが、宿主の死亡率はこれまでより下がる。
4) 特に変異はない → 感染力も死亡率もこれまで通り。
5) ウィルスが感染しにくく変異、毒性がこれまで通り → 宿主にはほとんど感染せず、死亡する割合は変わらない。
6) ウィルスが感染しにくく、毒性が低く変異 → 宿主にほとんど感染せず、感染してもほとんど死なない。
7) ウィルスが感染しにくく、毒性が高く変異 → 宿主にはほとんど感染しないが、感染すると高確率で死。
5)、6)、7)の変異株は感染力が低いため、主流な株にはなれず徐々に数が減っていく。逆に、1)、2)、3)の変異株は次々に感染を繰り返し、数を増やしていく。しかし、1)のように毒性の高い変異株の場合には、感染した宿主が次の宿主に感染させる前に弱って死んでしまったり、宿主となる生き物の数が感染症の流行により少なくなることで新たに感染することができなくなってしまったりするため、徐々に淘汰されていく。ウィルスは自己増殖ができず、宿主に感染しなければ増えることはない。こうして最終的には、人を殺すほどの毒性はないが感染しやすい性質を持つ3)のような変異株が主流になっていく。これが、いわゆる自然選択説(生物に無目的に起きる突然変異のうち、自然環境に適した性質をもつものが生き残り、進化が進んでいくという説)で、「感染症の毒性と感染力はトレードオフの関係にある」とされる根拠の一つだ。
ここで、今話題になっているイギリス由来の変異種に関する情報を見てみると、感染力はこれまでのウィルスより最大で70%程度高いらしい(https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20201221-00213726/)。
前述の1)、2)、3)ような感染力の高い変異種だ。
ここで、先ほど私が書いた内容を部分的に切り取って、「感染力と毒性はトレードオフの関係にあるから毒性はこれまでより低い」と安心してはいけない(実際、各種のブログやニュース記事のコメント欄等でこの種の勘違いをしている人が散見される)。
前述の通り、最終的にウィルスの感染力と毒性が反比例の関係となるのは、「ウィルスの毒性が高い変異株は次の宿主に感染する前に宿主が弱って動けなくなったり、感染先となる宿主そのものの数が少なくなったりすることで、淘汰されていくから」だ。現段階においては、新型コロナウィルスの宿主(要するに人間)の数は、感染先が少なくなるほど大きく減っていないし、新型コロナウィルスは感染者を速やかに殺してしまうほどの強毒性も持ち合わせていない。つまり、毒性が高い変異種を淘汰する方向の選択圧(進化の方向性を特定の方向に偏らせる自然環境)が生じていない。よって、新型コロナウィルス変異種の感染力が強いことは、その毒性を弱いことを担保しない。
また、新型コロナウィルス感染症に関するこれまでの情報を総合すると、今後も「感染後、即時に宿主の行動を抑制するほどの毒性を示す」あるいは「宿主(人間)そのものの減少により感染の連鎖の停滞する」といった強毒ウィルス変異株が淘汰されていくシナリオは起こりにくいと考えられることから、「感染力が高い変異株の毒性は低い」というセオリーは、新型コロナウィルス感染症に当てはめることはできないと考えられる。むしろ、風邪のような感染症の場合には、毒性の強化が咳や鼻水といった感染の原因となる症状を悪化させ、感染性を強める方向に働くことも指摘されている(高倉. 2009. 生活衛生. 3, 145-152; https://www.jstage.jst.go.jp/article/seikatsueisei/53/3/53_3_145/_article)。
いずれにせよ、新型コロナウィルスに関しては、感染力が高いことは毒性が低いことを説明しないと考えるのが妥当だろう。むしろ、高い感染力を持つ変異株の出現によって、これまで以上に感染者が増えてこれまで以上に医療の提供がひっ迫し、本来助かるはずの命を救うことができなくなることで、致死率が上昇することを警戒すべきだ。「感染力が高いことは毒性が低下を意味する」というもっともらしい言葉は、新型コロナウィルス感染症の現状にあてはめ、段階を踏んで考えれば全く根拠がない楽観である。このような考えは捨て置いて、引き続き感染予防対策を継続する必要がある。
さて、ここまで書いてきたように、進化の方向性は生き物やウィルスが意識して決めているわけではない。一方で、ウィルスの変異について、「効率よく増殖するために感染力を増加する方向に変異している」とか「ワクチンの効き目が少ないように変異している」というように、あたかもウィルスが意思をもって変異の方向性を決めているような書き方が、メディアやSNSで多く見受けられることに違和感を持っている(私も動物の解説動画で理解してもらいやすいように、こうなるようにこう進化しました、といった説明をしたことがあるのであまり人のことは言えないけれど…)。ウィルスの変異の方向性を決定できるのは、感染症で人類を滅ぼす某ゲームの中ぐらいのものであり、進化の方向性は、自然環境と偶然の変異がかみ合った時に決まる。このような進化に関する定説を本質的に理解していないせいで、新型コロナウィルスの変異種に対する報道や情報がいまだに混乱しているのではないか、と思う。
最後になるが、メディアやSNSから供給される情報は飲み込みやすいように加工されており、私自身もその情報をそのまま飲み込んでしまいがちだ。しかし、このコロナ禍における各種の情報は、情報の供給者や媒体が多様化し、情報の精度のばらつきも大きいように感じられる。
書かれている内容が個人の見解なのか、科学的根拠に基づくものなのか、論理展開として妥当性があるのか、解釈の飛躍はないのか、そういったものを気にしながら読み解く必要があると思う。
私自身、動画や記事を作成するにあたっても、なるべく情報に飛躍や齟齬がないよう気を付けていきたい。ゆめにっき
※私の見た夢
私は地元の山形にいる。時は夕刻。
しかし、山形からつくばに帰るバスがない。
仕方なく夜出発で深夜1時ごろに到着する夜行電車で帰ることにする。
(注:山形つくば間の夜行列車はないし、なぜか新幹線で帰るという選択肢もない。夢の中クオリティ)
つくばに深夜ついたところで、友人A、Bとマージャンを打つことにする。
(注:友人A,Bともに山形の友人。夢の中クオリティ)
深夜の1時ごろ、友人Bの実家に入るとなぜか父親が安倍晋三元総理。
(注:友人Bの苗字は安倍ではない)
「夜分にすみません」と頭を下げると、同じタイミングで頭を下げた安倍元首相(偽)と頭がごっつんこする。
ともかく麻雀をするべく麻雀パイを積み始めるが、山に積んだのジャンパイの枚数が3枚多かったり、麻雀パイが縦に細長くとても積みにくかったりと、夢の中特有の変な感じ。
ジャンパイを積み終えたが、今この部屋には3人しかいない。なぜ3人しかいないのにマージャンをやろうと思ったのか不明。
友人Bが、「父ちゃん呼ぶ?」といって安倍元首相(偽)をマージャンのメンバーとして召喚しようとしたところで目が覚める。
※妻の見た夢
車に乗っていると、車の助手席と後部座席から泥がわき出てきた。
泥じゃない。かぼちゃの煮汁だ!
かぼちゃの煮汁をドアを開けてかきだすと、においにつられて野犬が現れる
野犬を追い払うためにサランラップの芯をぶん投げて取ってこい!をする
通りすがりのおっさんににらまれたので、「これはごみのポイ捨てではなく、野犬を追い払ったのです」と謎の言い訳。
後部座席の煮汁をようやく処理し終え、助手席に移ろうとすると、妻の母親(若かりし日の姿)が運転席におり、車が猛然とバックし始める。
あぶねえと思い車の外に逃れ、バックする車を見ると今にも脱輪しそう。
「母ちゃん脱輪する!」と叫ぶが、そのまま結局脱輪する。
「言ったじゃない!」
と怒ったところで目が覚める。
という夢の内容を夫婦で交換したところで、本日が始まりました。