新型コロナウィルスの変異種と自然選択説の話


私は感染症の専門家でも進化論の専門家でもないが、いろいろと思うところがあったので、今回このように記事としてまとめ、自分自身の脳内を少し整理してみることにした。


新型コロナウィルスを含むコロナウィルスは、RNAという物質に遺伝情報を格納している。ウィルスの変異は感染した細胞内で遺伝情報を複製する際のコピーミスにより引き起こされるが、新型コロナウィルスのようなRNAウィルスはDNAを遺伝子として用いている細胞に比べて格段に変異が起こりやすい。具体的には増殖(感染)の速さと変異の起こりやすさを考慮すると、哺乳動物の10000倍以上のスピードで変異が生じるという(Duffy S. 2018. PLOS Biol., 16 e3000003)。


つまり、新型コロナウィルスが感染(増殖)を繰り返す限り、変異を防ぐことはできない。そして、変異の回数が多いことは、感染能力や毒性が異なる変異株が出現する可能性が高いことをそのまま意味している。


ここで、ウィルスの感染力(≒増殖能力)と毒性に変異が生じた場合、宿主(感染対象となる生き物)にはどんなことが起こるか考えてみる。


1) ウィルスが感染しやすく、毒性が高く変異 → 宿主にたくさん感染する。そして高い割合で死亡する。

2) ウィルスが感染しやすく変異、毒性は変わらない → 宿主にたくさん感染し、これまで通りの割合で死亡する。

3) ウィルスが感染しやすく、毒性が低く変異 → 宿主にたくさん感染するが、宿主の死亡率はこれまでより下がる。

4)  特に変異はない → 感染力も死亡率もこれまで通り。

5)  ウィルスが感染しにくく変異、毒性がこれまで通り → 宿主にはほとんど感染せず、死亡する割合は変わらない。

6)  ウィルスが感染しにくく、毒性が低く変異 → 宿主にほとんど感染せず、感染してもほとんど死なない。

7)  ウィルスが感染しにくく、毒性が高く変異 → 宿主にはほとんど感染しないが、感染すると高確率で死。


5)、6)、7)の変異株は感染力が低いため、主流な株にはなれず徐々に数が減っていく。逆に、1)、2)、3)の変異株は次々に感染を繰り返し、数を増やしていく。しかし、1)のように毒性の高い変異株の場合には、感染した宿主が次の宿主に感染させる前に弱って死んでしまったり、宿主となる生き物の数が感染症の流行により少なくなることで新たに感染することができなくなってしまったりするため、徐々に淘汰されていく。ウィルスは自己増殖ができず、宿主に感染しなければ増えることはない。こうして最終的には、人を殺すほどの毒性はないが感染しやすい性質を持つ3)のような変異株が主流になっていく。これが、いわゆる自然選択説(生物に無目的に起きる突然変異のうち、自然環境に適した性質をもつものが生き残り、進化が進んでいくという説)で、「感染症の毒性と感染力はトレードオフの関係にある」とされる根拠の一つだ。


ここで、今話題になっているイギリス由来の変異種に関する情報を見てみると、感染力はこれまでのウィルスより最大で70%程度高いらしい(https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20201221-00213726/)。
前述の1)、2)、3)ような感染力の高い変異種だ。


ここで、先ほど私が書いた内容を部分的に切り取って、「感染力と毒性はトレードオフの関係にあるから毒性はこれまでより低い」と安心してはいけない(実際、各種のブログやニュース記事のコメント欄等でこの種の勘違いをしている人が散見される)。


前述の通り、最終的にウィルスの感染力と毒性が反比例の関係となるのは、「ウィルスの毒性が高い変異株は次の宿主に感染する前に宿主が弱って動けなくなったり、感染先となる宿主そのものの数が少なくなったりすることで、淘汰されていくから」だ。現段階においては、新型コロナウィルスの宿主(要するに人間)の数は、感染先が少なくなるほど大きく減っていないし、新型コロナウィルスは感染者を速やかに殺してしまうほどの強毒性も持ち合わせていない。つまり、毒性が高い変異種を淘汰する方向の選択圧(進化の方向性を特定の方向に偏らせる自然環境)が生じていない。よって、新型コロナウィルス変異種の感染力が強いことは、その毒性を弱いことを担保しない


また、新型コロナウィルス感染症に関するこれまでの情報を総合すると、今後も「感染後、即時に宿主の行動を抑制するほどの毒性を示す」あるいは「宿主(人間)そのものの減少により感染の連鎖の停滞する」といった強毒ウィルス変異株が淘汰されていくシナリオは起こりにくいと考えられることから、「感染力が高い変異株の毒性は低い」というセオリーは、新型コロナウィルス感染症に当てはめることはできないと考えられる。むしろ、風邪のような感染症の場合には、毒性の強化が咳や鼻水といった感染の原因となる症状を悪化させ、感染性を強める方向に働くことも指摘されている(高倉. 2009. 生活衛生. 3, 145-152; https://www.jstage.jst.go.jp/article/seikatsueisei/53/3/53_3_145/_article)。


いずれにせよ、新型コロナウィルスに関しては、感染力が高いことは毒性が低いことを説明しないと考えるのが妥当だろう。むしろ、高い感染力を持つ変異株の出現によって、これまで以上に感染者が増えてこれまで以上に医療の提供がひっ迫し、本来助かるはずの命を救うことができなくなることで、致死率が上昇することを警戒すべきだ。「感染力が高いことは毒性が低下を意味する」というもっともらしい言葉は、新型コロナウィルス感染症の現状にあてはめ、段階を踏んで考えれば全く根拠がない楽観である。このような考えは捨て置いて、引き続き感染予防対策を継続する必要がある。



さて、ここまで書いてきたように、進化の方向性は生き物やウィルスが意識して決めているわけではない。一方で、ウィルスの変異について、「効率よく増殖するために感染力を増加する方向に変異している」とか「ワクチンの効き目が少ないように変異している」というように、あたかもウィルスが意思をもって変異の方向性を決めているような書き方が、メディアやSNSで多く見受けられることに違和感を持っている(私も動物の解説動画で理解してもらいやすいように、こうなるようにこう進化しました、といった説明をしたことがあるのであまり人のことは言えないけれど…)。ウィルスの変異の方向性を決定できるのは、感染症で人類を滅ぼす某ゲームの中ぐらいのものであり、進化の方向性は、自然環境と偶然の変異がかみ合った時に決まる。このような進化に関する定説を本質的に理解していないせいで、新型コロナウィルスの変異種に対する報道や情報がいまだに混乱しているのではないか、と思う。



最後になるが、メディアやSNSから供給される情報は飲み込みやすいように加工されており、私自身もその情報をそのまま飲み込んでしまいがちだ。しかし、このコロナ禍における各種の情報は、情報の供給者や媒体が多様化し、情報の精度のばらつきも大きいように感じられる。

書かれている内容が個人の見解なのか、科学的根拠に基づくものなのか、論理展開として妥当性があるのか、解釈の飛躍はないのか、そういったものを気にしながら読み解く必要があると思う。

私自身、動画や記事を作成するにあたっても、なるべく情報に飛躍や齟齬がないよう気を付けていきたい。